電だけではありま

市電のライバルは省電だけではありませんでした。俗称『円太郎』と言われる市営の乗合自動車も東京市民の脚として大活躍していたようです(๑•̀ㅁ•́๑)✧
この乗合自動車、大震災直後、軌道電車が破壊された際に勇ましくも開始されたのが発端だったようです。最初はトラックを乗用車に無理やり作り変えたもので乗り心地も最悪だったようですが、昭和4年くらいにもなるとだいぶ改良されて結構良い乗り心地になっていたとのこと(*´ω`*)
昭和3年時点ではまだ57マイル(市電200マイル、省電60マイル)しか運転系統は無かったようですが、線路を敷かずとも路線を伸ばせるという優位性はありましたので、将来的には短距離客を吸収していくだろうと予測されていたようです。

そんな円太郎をリードしていたのが私営バス(≧∇≦)/上野浅草、日本橋京橋という大通り儲かり路線を通っていた『青バス』と言われていたものです。ちなみに名前の由来は青緑色に塗られていた車体からとのこと。
こちらのバス会社はとにかくサービスが良かったようで、一区七銭制度回数券割引、三宅坂~東京駅、銀座尾張町圏内の賃金切り捨て制度、女車掌制度などなど市営ではまず出来ないサービスを盛り込んだそう。これが出来たのも私営ならではのフットワークの良さからでしょう(#^.^#)
特に『東京遊覧乗合自動車』は地方からやってきた観光客を乗せ、およそ8時間程度で東京名所を案内付きで一巡させたそうで・・・修学旅行ではこのサービスをかなり利用していたとのこと(*´艸`*)
まるではとバスのようですが、この会社は陸上交通事業調整法に基づく戦時統合に伴い、東京市電気局に買収され、市営バスに編入されてしまったとのこと。もし現代に残っていたらきっと面白いサービスをガンガンやってくれていたことでしょうねぇ(*´ω`*)
次回更新は1/30、地下鉄か円タクを取り上げる予定です(#^.^#)

 

【創作関連】
スミマセン、私この記事を書くまで『円太郎』と『円タク』の区別がよくついておりませんでした(>_<)しかし調べていくと『市営』と『私営』でも随分と違うようで・・・それは今でも変わらないのかな(^_^;)私が住んでいる場所には公営のバスが走っていないのでよくわからないのですが、価格が安いけど融通がきかない=市営、多少価格は高いけどかゆいところに手が届く=私営といったところなのでしょうか?しかし今回の記事では割引とかは先に私営でやられていますし・・・その辺は状況に応じて、と言ったところでしょうか(^_^;)
もし『円太郎』で話を書くのであれば、カワイイ女車掌さんがいる青バスに必死に乗り込む書生さんあたりを書きたいなぁ(*´ω`*)学校に行くには市営のバスの方が近くて安いけど、顔を覚えてもらうために青バスに乗り込むとか・・・実際ありそうじゃないですかwしかし乗り込んでも語りかけるのは無理!とかシャイな男の子、出来たら書きたいものです(*^_^*)