その医師は追い続

騒音おばさん」や「近隣との揉め事」が時々ワイドショーの話題となる。
たいていは、暴力的になったり近隣の多数と相容れない人が
悪者扱いを受けることになる。
精査すると問題の人とされる人のほとんどは最初からモンスターではなく、
被害妄想が生じて次第にそうなっていったと窺えることが多い。

先日『カリガリ博士(Das Kabinett des Doktor Caligari)』を観た。
えらく古い映画で1919年の製作。おまけにサイレント映画
この映画はドイツ表現主義の映画。
そのあらすじは、怪人であるカリガリ博士が青年ツェザレに催眠術をかけ、
見世物小屋に出演させたり、夜な夜な殺人を行わせたりしている。
この青年に不審を感じた医師がカリガリ博士との関係を突き止めるがツェザレは衰弱死。
それでも、その医師は追い続け、ついにカリガリ博士の正体を見破り精神病院に入れる、
というのがこの映画のあらすじ。
ところが本当はこういったストーリではなかった。
(ここからは、ちょっと難しい。)
本当のストーリーは上記に登場した医師の妄想とするつもりだった。
すなわち、カリガリ博士は怪人ではなく精神病院の院長。怪人ではなかった。
博士は、狂気の青年の奇行を止めるために催眠術を使い治療しようとしていた。
その日も奇行を止めようと青年を追っていたが、博士の努力むなしく
青年は、狂気に煽られ殺人を犯してしまう。
努力の虚しさを嘆いているカリガリ博士を見て「医師」が、
これはカリガリ博士が催眠術を使って殺人を行っていると推測した。
すなわち、疑った医師の思い込みだった、という趣向で作るはずだったが、
サイレントでもあり複雑になるのでカリガリ博士を怪人にした映画を撮った。
それがヒットしたというところらしい。
すなわち、勝手な思い込みで全く逆と捉えてしまった。
問題なのはカリガリ博士ではなく、その医師。

人の行動は、ややもすれば、そのように捉えかねないところがある。
「疑心暗鬼を生じる」
地域トラブルとなるのは、こんな妄想や思い込みが、
勝手な人物像を作り上げたりするもの。

別の角度から『カリガリ博士』見るのも、また「よし」かもしれない...